昭和42年7月10日 月次祭
( 途中から )のお供えが二本あっておりました。ご祭典を拝まれた方は、分られたでしょう。お神酒の中に混じって、あの、白い壜が、あー、二本。あれは、焼酎でした。球磨焼酎です。えー、その銘柄は、あー、峰の露という、お焼酎と、それから、松の泉という、焼酎がお供えになっておりました。今日のお祭りに、あの、お三宝を頂くんですよ。峰の露という、うー、焼酎、松の泉という焼酎。焼酎と申しますと、おー、特にあれは、球磨焼酎ですから、もう、日本でも最高の焼酎ですね。球磨川の、おー、ほとりに出来る焼酎でございましょう。いわゆるその、なんと申しますかね、お酒を一合召し上がる方なら、あの焼酎なら、五勺飲めば、まあ、よいというぐらいに、効き目が早くて強いんです。ね。どちらかというと、合楽の信心は、焼酎的なところがあるとですねえ。有難き、勿体なき、恐れ多きと言う、その、お神酒も、どっちかというとその、胃が広かというところがあります。ね。少し、胃が広いです。けども、胃が広かから、また早く、誰よりも有難くなれれると。合楽の方たちが、まあ、合楽始まってから、信心を続けている方に致しましても、十七年間。十七年間に、このくらい、お互いが有難くなれたんでございますから、五十年信心しておっても、ね。有難いと言う言葉は使っても、おかげと言う言葉は使っても、その、おかげの実感もなからなければ、有難いという実感もないというような人達も沢山あるんです。お酒を飲むと、やはり、何とはなしに気分が変わってくる。ね。言えぬことでも、言えるようになる。ね。不思議なんですね、有難いときには。私は、大体、あの、んー、川魚というのは、あんまりよう食べきらんのです。だから、川魚料理などに参りますと、ちょっと困ります。けれども、段々、この、お神酒が進んでまいりますとですね。心が大きゅうなるんですよ。心が春めいてくる。嬉しゅうなってくる。歌のひとつも歌おうかというような気分が出けて来る、ころになりますと、その、鯉の洗いも、おー、鮎の白焼きも、いよいよ、美味しゅうなってくるんです。贅沢な話ですよね。そらもう、一緒にわたれば良い、けれども、好きでない人は、やはり、迷惑千万なもんですねえ。川魚料理。ところがその、お神酒を、それこそ、飲むほどに、酔うほどに、それこそ、あの、鯉こくが美味しゅうなってくる。鯉のお刺身が美味しゅうなってくる。こげな美味しかもんば、どうして食べんじゃろかと、人に進めるようになってくる。私は、信心の有難いのは、ここだと思うんです。ね。有難くなってまいりますとです、今まで、苦痛と思っておった事やら、悲しいと思うておった事やら、難儀と感じておった事が、有難うなってくるんですよ。そして、それがです、反対に、お礼が言いたいような気持ちが生まれてくるのですよ。ね。皆さん、有難き、勿体なき、恐れ多きの三喜を奉れと。四神様が、あるご信者に仰ったと。はー、こん神様は、お神酒が一番お好きでございますかと。そうじゃ、お神酒が一番好きじゃ、ね。有難き、勿体なき、恐れ多きの三つの喜、三喜。その、その三喜が一番お好きじゃと仰った。お互い、信心をさせて頂いたら、いよいよ、神様が恐れ多い事になってこなければなりません。信心も出来ませんのに、このようなおかげを蒙ってという、勿体ないという生活が出来るようにならなければいけません。勿論、有難いと言う事は、言うに更なりでございますけれども、ね。その有難いも、勿体ないも、もし、無いとするならば、それはもう、信心の生命を無くしておるものと同じでございます。ね。ですから、信心のないものが言うておるようなことを言う。まあ、そう言う事は失礼ですけれども、信心のない人が、腹を立てておることに、やっぱり自分も一緒に腹を立てておる。信心のない人が難儀だと思うておることを、やっぱり、信心頂いておりながら、難儀と感じておる。これでは、やっぱり、信心を頂いておる値打ちは、何にもないわけなんです。ね。皆さん、初めに申しましたその、焼酎の、私はお知らせを、皆さんはもう、大体お分かりになろうと、こう思う。松の泉。あー、松の泉とは、ああ言う事だと、峰の露とは、ああ言う事だという事がお分かりになろうけれども、ね。ここ、もう一つ、頂き直してみたいと思うんです。ね。確かに、お参りをさせて頂きますと、お参りすりゃ、お参るするがた、あることだけは間違いないです。これは、間違いない。ね。お参りする方あるというのは、どういう事かと言うと、ね。おかげを受けると言う事。商売人なら、商売が、やはり、信心のなかったときよりも、繁盛のおかげを頂くし、ね。病人であったならば、医者も薬も効かなかった病人が、ね。お話を頂いていくだけで、おかげを頂いておる。今晩、ここへ参ってきておられる、西田さんという方が、この部落から参って見えます、毎朝、参って見えます。ね。ここへ着かせて頂いてから、御理解を始めるときに、それこそ、こう、待ち構えたようにして、私の話を、その、もう聞き逃すまいというような態度で、お話を頂いておられます、いつも。ね。ご本人から私は聞きませんけれども、先日も、朝の御祈念の帰りに、この合楽食堂の中村さんと一緒に帰られる。まあ、色々お話をされる。親戚、話し合って、いよいよ、病院に行くという、うー、前に、とにかく、まー、金光様に一遍、お参りしてみろというのが始まりであった。おかげで、病院行きが、いわば、合楽病院に通うておられるわけである。毎日、朝から通うて見えられる。いわゆる、難渋な病気なんです。ところが、不思議な事があるんですね。その、例えば、お腹ならお腹が痛みます、ところがね、ここに御祈念をしておったり、お話を頂いておる間は痛まないんです。ね。そういう毎日が続いておる。最近は、その、おー、そんなら、家に帰れば痛むと言いよった、その、それすらも、段々、病気を忘れるように、おかげを蒙っておるという。中村さん、私は、こげなおかげを頂いて、どげなお礼ばしたら良かじゃろかと言うてその、話された。西田さん、そげな事、無かですよて、金光様はね、例えて言うならば、お供えと、おかげとは交換じゃ無か。はー、あれが一番良うお供えしたけん、一万円がたおかげばやろといったような神様でも無か。お供えをせなきゃ、参られんという雰囲気も無か。西田さん、そげな事はもう、心配いらんですよ、おかげを受けられる事が、何より神様が喜んで下さる事だかろという意味の事を、話したと言うて、先日話しておられました。ね。ですから、参りゃ、参るがたあることだけは間違いない。先、先回の、お袋さんのご理解でしたですかねえ。いかに、ここに缶詰がありましても、あったでけでは、缶詰を持っておるというだけ。お参りをさせて頂いて、お取次ぎを頂いて、お願いをすると言う事は、丁度、缶切りを借るようなもの。今まで、頂けなかったものが、頂けるんだ。どうにも落ちなかったと思うてお、どんなに、洗うても落ちなかったものが、お取次ぎを頂いて、お取次ぎの説教を持ってすると、本当に、嘘のように落ちるんだと。ね。お取次ぎのお徳。お参りをさせていただく。おかげを頂くという事はです。そういうところから、始まってくるんです。けれども、それは、峰の露的なおかげではありません。峰というのは、最高という事。最高峰の峰です。富士が見えたかもしれませんね。ね。耳納山の、いわば、峰伝いと、こう申します。いわば、最高。露というのは、勿論、露ですね。お恵みと言う事なんです。ね、最高のお恵み。最高のおかげ。それは、どういうようなおかげと、皆さん思われますか。ね。皆さん、折角おかげを頂くなら、最高のおかげを頂きたいですねえ。んにゃ、もう、腹が太なりさえすりゃ良かというのじゃいかん。ね。おにぎりを三つ食べても、お腹いっぱい。どんぶりもの、お皿いっぱい頂いてもお腹いっぱい。あっはは、ね。千円も、二千円もといったような定食もございます。同じお腹いっぱい頂くならです、ね。それこそ、山海の珍味を前にしての、腹いっぱいのほうが、皆さん良いことないですか。ね。どうぞ一つ皆さん、ここんところを、本当に、思い込み、分りこんで頂きたいと思う。同じままになるというても、ね。いわば、ままになりようがある。私が、福岡での、まあ、いわば、あー、最高峰ですかね、あの時分が一番。修行の一番峠と言う時代でした。もう、断食から断食を続けておる時分でした。夏でした。神様から、西公園、東公園、果ては荒戸の教会、果ては、あー、初代の奥城が、あー、あそこは、何とか言うところでしたですね。えー、何とか言うところですかね、あそこは。あっ、奥城があったところ、あっ、あっ、そはら、そはら、鹿原と書いて、鹿原の墓地ですね。あちらへ、日参させてもらったんですけれども、日に一遍じゃないんですよ。もう、東公園から鹿原と言うても、相当の道程があるんですよ。勿論、そこを歩いてからでございますからねえ。もう、随分、あの時分にねえ。歩いてきついて言う事はなかったんです。やっぱ、訓練ですね。今日、私、初めてあの、えー、この頃二里ぐらい歩かにゃいかんと、お医者さんから言われておる。散歩せな、今日、初めて、親教会のお月次祭から、あー、関さんが、是非、車呼ぶと言われるのを、私、断って、バスで参りました。ほれで、あのバスの停留所から、親教会、それから、親教会に親先生にお届けさせていただいて、庫裡からこう、おー、お家の中を通って、えー、帰りたいと思いますね、そうだけど、大丈夫か、ちっとひどすぎはせんかと、こう言われましたけれど、まあ、今日は、一つ、おかげ頂いて、関さんも、是非、ほんならお供したいと言われる。ちょうど、久富繁雄さんところの前に出なければ、その道がないんですよ。丁度、あそこまで、もう、入口参りましたら、あちらの、長男の國男さんが、やって来よります。どちらへおいでですか。今日は、こちらから歩いて帰りよる。ね。お父さんはと言ったら、家、居りますと、こういう。それで、私は、あちらへ寄らせて頂きましたら、ほんの今、畑に出られたという後でした。あそこで、お茶一服いただきましてから、それから、参りました。あの畑で、一生懸命今日は、えー、山芋掘りがあっとりました。私は、帰って家族に申しました。もう、家に頂いたお供えは、もうほんとに、もっとそら、お粗末にしているわけじゃないけれども、ね。ほんとにこれはもう、本気で、有難く頂かしてもらわにゃ、押し頂いていただかなければ、本当に、もう、皆さんが、汗みずくで、お作りなっておられる。あんまり強くもない、久富さんが、あの、深く掘って、あの、掘らなければなりませんからね。山芋掘るのは。しておられるのを見せて頂いてから、もう、今までのお下がりの頂き方が、こりゃ、お野菜だけのことではない、一事が万事そうなんだと。皆さんが、十円のお賽銭をお供えなさる。百円の、例えばお初穂をお供えなさる。とてもこれは、大変なことぞと、私は申しました。これは、私達が、朝から晩まで御用させて頂いて、ね。そうしておるといったようなことは問題じゃない。あの、暑いなかに、それこそ、もう、日陰一つない、広々とした畑のなかで、もう、一生懸命に、汗みずくになって、働いておられる、お百姓さんたちのことを思うたら、とても、とても、ほんなごて、お野菜一つでも、押し頂かねばおられんぞと言うて、今晩、栄四郎たちやら皆に話したことでした。やはりですね、やはりその、実感というものはね。見てこなければ分りません。湧いてこないのです。実感といや、今日は、私、丁度、お届け終わっておりますところに、家内が、慌ただしゅうやってまいりました。先生、大変ですよ。伊万里が大洪水ですよ。昨日の、集中豪雨で、あのー、それこそ、水のカーテンが落ちてくるような、すさまじい勢いで、あっという間に全市が水浸しになったというのです。有田、そして伊万里、しかも私、ちょっと、見せて頂きましたら、大坪町に、松ヶ枝町ですか、あ、 ああ、松島町、ね。というところが一番ひどいです。あの、竹内先生のところは、松島町なんです。それから、私、直ぐ、お届けをさして頂きました。ところへ、丁度、福岡から電話がかかってまいりました。富永さんと、秋永先生の奥さんから、交互に電話が架かってまいりまして、只今、こうして、ニュースを見ましたら、こうこうですから、どうしたらいいでしょうかと言う事だった。今から、あー、高橋さん、杉山さんあたりでも、皆なに計って、今から、出合わせて頂きたい。お見舞いの一つも持って、やらせて頂きたいから、と言う事で、どうぞ行って下さいと。こちらでも、今、あー、あの、話しておるとこでした。青年会の方たちにでも、一つ、計って、えー、いわゆる、救援隊でも、おー、やらせていただこうか。そして、大体、何家族、あちらから、お参りして来よりなさるかねえと言うて、信者名簿を繰らせていただきましたら、丁度、二十家族ございます。ですから、えー、そう言うておるところでございましたから、それだけどそんな、もうとにかく、電話も不通、電報も何時着くやら分からんというから、電報打ちませんと、こう言う。そんなら、とにかく、とりあえず行ってみて下さいと言うて、朝から行かれて、ほんの今、御祈念を、お祭りが始まる寸前に、三人でお帰りになりました。大変な事だそうです。ね。けれども、幸いにです。怪我、死傷者がなかったと言う事ですね、ご信者さん方の中に。もう、井上さんのお宅なんかはもう、二階まで、泥でいっぱいだそうです。しかし、確かに有難いと思うですね。竹内先生ところも、お婆ちゃんは、もう、いっといの時にですね、御神前に出てから、御祈念されたそうです。普通だったら、もう、慌てふためくところでしょうね。あっという間ですから。ね。そしたらもう、おかげな事にはですね。丁度、お神様をお祭りしてあるのが、ほんと、このくらいな所で水が止まったち。おかげで、おかげを頂きましたと言うて。けどまあ、御用も、それこそ、泥まみれになって、御用して帰られた。その実感が、いわば、生々しい、そのところを見てきてございますから、今も、高橋さんから、あー、皆さんにお話があっておりましたように、是非、明日は、青年隊だけではない、有志の方たちに、ね。救援隊を組織してから、御用にやらせて頂こうと、また、救援物資、ね。もう、何もかにも水浸しなのですから、まあ、本当にお困りになっておられるだろうといった様な物を。例えば、お互いの真心を、一点づつでも良いから、持ち寄って、明日はやらせていただこうというて、今、話し合いがございました。今晩は、総代幹部の方たちに、その事を話して、計ろうという事になっております。これとてもです、ただ、新聞、ラジオ、テレビで見ただけではですね、やはりその、生々しいものが伝わってこない。今、見てきた人の話であって、それが伝わってくる。私も、今日は、本当にあの、えー、初めて、あの、通りましてね、もう、暑い中に、もう、私も、へとへとでございました。そういう風で、歩くのは、随分、慣れておったんですけれども、もう、この頃は、座ることが、ばっかりでございますもんですから、なかなか出来ません。ほっで私は、もう、ほんとにあの、久富さんが、もう家に帰ろう、もうしばらくと言うて、こう言うて下さる。リヤカー持ってきて、えへっ、リヤカーの上にひょいと腰掛けて、一服して下さいと言われるけれども、とても、そういうような気持ちがしませんでした。ね。もう、折角、遣り掛けとんなはるけんもう、やってください、と言うてもう、こそこそで帰らせて頂きましたけれどもです。ね。ほんとにやはりね。お百姓さんの一生懸命に働いておられる、姿というものに触れなければです。本当に、農作物の一つの有難さでも、本当には分らんのだ。こんなに、天地のお恵みを蒙っておるんだ、天地のおかげを蒙っておるんだと言うても、その天地の恵みとても、人間の労力というものが、いわゆる、汗と、働きというものがです。ね。いわば、あの、牛蒡一本の中にでも、米一粒の中にでも、お百姓さんの、汗と油がはいっておると言う事なんです。ね。私は、今日、常持あたりまでやってきたらもう、汗が、油んごつなっとる。もう、とにかく、自動車を拾うわけにいきませんしね、あの、どうやったかの、けれども、賑やかですね、私、たまがりました。もう畑、広い広い畑にも、沢山の人が出ておられるんですよ。ね。けども、自動車やらは通りませんもん。もう、関さんも、大分疲れられたごたる風で、それで、常持を出ましてから、もう、安田ん森がそこに見えるというころになりましたら、後ろから、自動車が参りましてから、國男さんが後、追いかけてやってきておる。よか、お父さんが、とにかく、まあだ、途中までやろけんで、早よう、あの、先生をお送りして来いと言う訳なんです。ほっで、そっからでしたけど、助かりました。二人とも、自動車に乗せていただいてから、ま、帰らせて頂いた様なことでございましたけれども、というほどにですね。歩く事には自信があったんですけれども、もう、この頃、歩かないと、もうその、足が、たった、どのくらいでしょうか、まあ、善導寺のところからですけん、一里半ぐらいありますかも知れません。ね。の、内ぐらいで、もう、へこたれるような状態でした。只今、お話半ばでしたですけれど、そのお話のですよね。まあ、神様からですね、さあ、西じゃ、東じゃと、もう一日中、別に、なーんでもない。なんでもないじゃない、あの、中洲あたりのですね。あの、焼き鳥屋さんやら何やらもう、こう、食べ物屋さんが並んでおるところをです。わざわざ、そういうところを通られる。もう、お腹は、断食から断食ですから、ぺこぺこですよ。それにもう、うなぎの蒲焼どんの匂いがぷんぷんしてくるでしょうが。こっちからは、そのあの、おご馳走の美味しい匂いがする。もう、目がまっ黒に(笑って声が出ない)。神様はあら、わざとあげん修行させて下さるんですよね。とうとう、夜になってしまった。中州橋の上まで、参りませず、あの時分はにもはどうか知りませんけど、屋台がずーっと並んでおった。須崎のあの、長浜町の一丁目ですからね。現在、あそこには、あー、何とか会館やら、図書館やらが出来ております。そらもう、見違えるように立派になっておりますけれども、あの時分は、昔は、私共が、修行中の時分は、朝鮮人部落でした、ほとんどが。日本人は、三分の一ぐらいしかおりませんでした。おると言うても、別に立派な家を建てておるわけじゃございません、あの、おー、焼け跡に、焼け残りを集めて、組み立てたといったような家に住まっておるのでございますから、ですからもう、直ぐそこまで、なら、安田の森あたりまで行きますとですね、家があるんですけれども、そこを通り抜けて、また、丁度、東公園から、丁度、中州で一服して、それからまた、東公園のほうへ向かって行きよる途中でございました。私が、その当時、神様に、自分の道楽でしております、その道楽というものは、全然その、もう出さないことに自分で、えー、神様に約束してあった。ね。そしたらですね、もう、とにかく、もう、あー、そのお、へとへとなもんですからね、そすと、欄干のところへ、こうやって、たたずんで、それこそ、おー、えー、不審に思う人が、に思うて見たらです。あら、身投げども、するとじゃなかじゃろかと、思うような状態ではなかったろうかと思います。ね。そしたらですね、その屋台のほうから、三味線か、レコードか分らんけれども、都都逸の文句が、こうやって、流れてくるんですねえ。三味線の音色ですよ。ね。もう、とっても、こっちは、(そげな音など、聞きてごたい?)したらですね、神様が、小唄の一つも歌うてみんかと、神様が仰った。とても、とても、(笑いながら)そげなどんじゃなかです。いくら、好いとると言うてもですね、とても、とてもその、唄どんが出るごたる勢いというもんは、もうなかっです。それにまあだ、今から、あーた、荒戸のほうまでも、お参りせんならん、あれに。ね。そしたら、神様がですね、まあ、そげん言わんとですね、まあ、一つ出して見れ、と言うて神様が、そのー、一つの、おー、リズムに乗って何かこう、言うて下さった、その都々逸の文句が、いつも私がお話申しますような文句でした。ね。「米の、おまんまも、水責め火責め、苦労すりゃこそ、ままになる」という、いわゆる、御理解でした。私はもう、それに釣られるようにして唄いました。唄いましたら、大体が稽古しとるとです、とこう、調子に乗って唄うことができるんです。ね。また、それを繰り返そうと致しましたら、神様から、大きな声で頂いたんです。もう、そげん、二辺も唄いよると、また、昔の虫が出てからいかんというような意味のことを頂きました。ほんに厳しい事でした。ね。今日、私、皆さんにですね、峰の露的なおかげを頂いていただきたい。ね。そして、限りない、松の泉のおかげに触れていただきたい。汲めども尽きぬ、頂いても、いただいても、無尽蔵。限りない、神様のおかげに接することが出来れるおかげとは。どこまでも、峰の露のおかげでなからなければならない、峰の露の信心修行が出来ていかなければならない。露を恵みと言うならば、おかげと言うならば、ね。あの時分の、私のおかげこそが、峰の露というようなものではなかったろうかと、私は思うのです。人から見たら、信心すりゃ、どうして、あげん、そのー、ぼーけてしまうもんじゃろか。どうして、あんなに、貧乏せんならんじゃろかというような状態の中にあって、私の心のなかには、もう、有難い、勿体ないが、もうそれこそ、いっぱいでした。だからこそ、あんな修行が、今、思い出しても、まあ、言うなら、身の毛のよだつような修行が出来たと思うのでございます。ね。一番初めに、おかげという事について、宮田さんのお話をさしてもらいました。ね。何ぼおかげが頂けれる、言うなら、病院にも行かんで、薬も飲まんで、苦い思いもするこつはいらん。バス代もいらん。薬代は、勿論いらん。言うなら、お参りするだけでも、おかげが受けられるという、おかげから始められて、なら、それがおかげじゃないじゃない、広大なおかげなんだけれども、もっとも、広大なおかげ、最高のおかげというのは、私共が、様々な問題に直面した時に、様々な難儀に直面した時に、その問題が、または難儀が、いよいよ信心で、それを合掌して、受け抜いていかれるという信心を、日頃、鍛えておくと言う事。竹内先生のお婆ちゃんが、それこそ、あっという間の、いわば、瞬時の出来事に対しましても、ね。やはり、御神前に出てから、御祈念をさせていただきましたと、ね。そのゆとりがあったればこそ、信者さんの中に、一人の怪我人もなしに、おかげを蒙られておられる、ね。大水といやあ、思い出しますね。あれは、ここの大洪水のときでしたかね。あの時も、写真が、丁度、おー、西日本の新聞社が、もう、決死的なその、おー、撮影をしておる、それが丁度、草野の町の役場に、展示、結構、飾られた。ね。それを見よったところが、その、私共が、その二階に上がっておるところを、写しておられる写真が出ておった。子供達の友達が、役場に勤めておられたから、それを一枚貰うて、私の家に持ってきて下さった。まあ、言うなら、貴重な写真である。ね。丁度、もう、丁度、おー、二階の屋根がこうして、屋根の、ほんな、ここんところまで、水がぴたぴた来ておるという、そこの前を通って、非常に荒かったんです。普通の船では行けなかったんです。そこへはいって、それこそ決死的な、その、おー、新聞社の方たちが、そこを写された写真でございます。しかし、思うて見ますと、本当に有難いと思うですね。私は、やっぱり、こうやって、紋付袴をつけまして、奉仕着をつけとる、そういう中にあって。あの時分は、皆さんもご承知でしょうが、こちらに四畳半、こちらに六畳でした。しかも、六畳にはタンスがいっぱい置いてございました。そこに、修行生、とにかく十何人の者が、缶詰のようにして、入っておりました。こちらに、三畳ぐらいの小さい家が、あの、間が、二畳でしたか、三畳でしたがございましたが、それだけでした、二階は。それでも私が、四畳半だけは神様の間に、さっとこうやって、もう、やっぱり、ご結界を二階に移しておりますから、やっぱりといって、御神前に、だーれも参って来はしません。ただ、修行生の方やら、家族のものが、お取次ぎを頂くだけ。あの、一番、もう、それこそですね、もう、日頃はもう、それこそ、もう喧嘩越しの強いという人達がです。屋根の上に上がって、助けちくれーち言うてから、もう、言いよりなさるとです。そら、もう、言わにゃおられんとですよね。ドラが鳴る、鐘が鳴る、サイレンが鳴る、もう、何とも言えぬその、雰囲気の中にですね、もう、水はもう、刻々といみって来るんです。屋根の上に登って逃げるという人もある。屋根の上から、救いを求めている人達もある。もう、それこそ、助けてくれであります。けれどもですね、椛目に、あの時におかげを頂いておった修行生の方たちは、病人ばっかりでしたが、もう、誰一人騒ぐものはおりませんでした。親先生は、ちょっと、御結界、奉仕していただいとるから、親先生の胸の中にあるからという、安心だったんじゃなかろうかと思います。ね。それでも、その日は、私の父も、随分辛抱強い人ですけれども、御結界にやってまいりましてから、先生、もう、いよいよ、いかんばの、と言うてやってまいりました。二階の、ご承知でしょう、こちらのほうにお縁がある。お縁にもう、ぴちゃぴちゃ水が入って来たんです。それで、私は、神様へ、御祈念をさせて頂きましたら、神様から、丁度、屋根の、水が、上にあるところへですね、ここのところへ、蛙が、っとこう、横へですね、なんかこう、子供がこう、ぎっちゃんばっちゃんするでしょう、こうやって。蛙が両方へ乗っているんです。してから、ぎっちゃんばっちゃんしてから、遊びよるところを頂く、横に。そして、神様から、御理解に、あの蛙たちがですね、上に跳んでくる時には、いよいよ、危ない時ぞと仰る。けれども、もう、上に跳ばずに、横にとんでおる。遊んでおるという感じ、の間は心配するなという御理解を頂いた。父もその時は、安心致しましてから、ほんなら、と言うて、えー、下がりましたが、そん時、私は、父に、とにかく、あの時分は、あー、朝から、奉仕して、四時まで奉仕の時間でしたから、午後の。とにかく、四時に私が、ここへ御祈念の座を下がるまで待ちなさいと言うて、えー、御祈念をさせてもらいました。そう、申しました。もう、本当に、四時をきっかりでございました。四時から、水が引き出しました。あれに、もう、五分入ったらですね、もう、二階の畳も腐らかしてしまった、寝る所がなかったでしょう。私共は、だーれも、避難することもなしに、家族子供、年寄り子供、病人がです、ああいう、それこそ、助けてくれ、助けてくれというような、その中にあって、安心しておれれると言う事。ね。そういう時に、御結界を中心に、皆が、安心しておれれるという事。なんと信心とは、有難いことだろうかとこう思う。ね。この頃、写真を何か、誰かが引っ張り出したつの中に入っとりますもん、その写真が。はー、こんなことがあったな。これはもう、本当に貴重な写真だから、採っとかないかんぞと言うて、なおさせておりますけれどもですね。そういうようなおかげが、段々と、頂けてくるようになったという事もです。どうして、あのような難儀なことが続くであろうかという中に、有難い、勿体ないの道を覚えさせていただいて、おかげを蒙ってきたお陰なのでございます。皆さん、中途半端のおかげに留まっちゃなりません。信心しておるものでも、何ともう、おかげいらん、もう、私どん、駄目だと言うたり、駄目だぐらいなら良いけれども、いかにも神様に力がないような事を言うたりして、信心をおろそかにしたり、辞めたりしたりする人があるという事は、残念なことだと思う。ね。そここそ、そういう時こそ、いわゆる、信心に物言わせて、信心の有難い、いよいよ、本当の有難さ、真の、いわゆる親身とでも申しましょうか、に、触れていけれるおかげを頂かせてもらわなければならぬ。ね。松の泉といい、ね。峰の露という、焼酎の銘柄といい、神様が、本当に皆さんに、おかげを受けさせてやろう、受けてくれよと言うておられるのは、いわゆる、松の泉的なおかげなのです。願ったとこだけ、おかげ下さるというのじゃなくて、もう、一切合財、いわゆる、もう、同じままになるならばです、最高の、ままにならせて頂くおかげを、しかも、限りなく、無尽蔵に頂けれるところの、道を体得してくれというのが、神様の願いなのです。ね。それには、だから、これを何と言うものではない。一番最高の、いわば、峰の露というのは、ね。私共が、は、これは、人生の雨ではなかろうか、風ではなかろうかという時にです、ね。そこを、有難く頂かせていただくという、信心こそが、峰の露であるということなんです。最高のおかげ。最高のおかげとはそういうもの。そこのおかげを頂かせてもらう時にです、ね。約束されるのが、松の泉的なおかげであると、私は、確信いたしております。先ほど、お話になっておられましたようにです、ね。例えば、伊万里の方たちが、本当にもう、何もかにも、流された。何もかにも、言うならば、あー、また、第一歩から、やり直して行った方達もございましょうけれども、その事が、いよいよ、ね。広大なおかげの元になれれる、元気が出られるようなおかげを頂かれるためにも、明日は、本当に、生き生きとした喜びを持った人達で、奉仕隊を組織して、そして、その伊万里の、おー、ご信者さんの、皆さんのところへ、御用奉仕にでもやらせていただいたら、おかげを頂くことであろうと、こう思います。皆さんが、喜ばれることも、勿論、もう神様が喜ばれることは勿論、私は、今日は、富永さん、あちらから、電話が架かってまいりましたときにですね、ほんとに、思わず涙がこぼれました。有難いなあと、私は思いました。ね。皆さん、どうぞ、おー、信心させて頂いておるといえば、もう、親戚以上だとさえ、思わせます。信心の、芯に繋がる同志のものの難儀を見て、じっとはしておられない。祈り添えもさることながら、そうした意味合いの御用もまた、信心であると思うのでございます。どうぞ、よろしゅうお願いします。
中村良一
2005年4月13日